僕が普通に接しているものを、一生知ることなく人生を終える人がいる、ということを考えると、自身の中で確かに存在しているはずの時間や空間や感情の実線はどこに向かっているのだろうか、と考えてしまい吐きそうになる。


自分の本当を知らない、プライベートでの付き合いがない人、身近じゃない人間、と会話する機会はしばしば自分に考える対象を与えてくれる。
僕の普段の言葉遣いや趣味趣向は、生活に深く根付いて、しまっている。それを全く心を許していない人達の前では隠そうと心に決めていても、ふとした瞬間に出てしまうことがある。
その一端はだれかにとって馴染みのない言葉、行動、思考で、きっと自身の世界の中では見たことも触れたことのないものなのか、または見ないようにしているものかもしれない。
自分、相手を取り巻く世界は、別の世界を持つ人間によるほんの些細な衝撃でいとも簡単に壊れてしまう。
パーソナルな領域に他人を招き入れることは簡単なことではないし、他人のそれが気になってしまう様なことがあれば、いかにその侵入を避けるかを考えてしまう。
僕にとっての世界は僕の普通だし、誰かにとっての世界は誰かにとっての普通だ。それぞれの生活と日常がある、とても当たり前のこと。その当たり前のことが、大事なこと過ぎて、笑われてしまうことが怖い。

 


clammbon「タイムライン」 MV